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 私には、大好きな人がいた。

綺麗で上品で優しくて、憧れの人だった。その憧れは、いつからか恋心に移り変わっていた。

「ずっと一緒にいようね  ちゃん」

大好きな   お姉さんの声は、すぐに雨と川の流れる音に掻き消されて聞こえなくなってしまった。それでも、私が最後に聞いたその声は、母よりも誰よりも愛した人の優しい声色だった。

 

「…ちゃん、ノアちゃん!!聞いてるの!?」

「へ!あ、ご、ごめんね!!ぼーっとしちゃった。」

新宿にある、有名コーヒーチェーン店で親友のマイちゃんに声をかけられ我に返る。マイちゃんは、分かり易くご機嫌ナナメです!といった顔をしている。

「もー!親友の私を目の前にして、誰のこと考えてたの!」

「もう、そうじゃないってば。ごめんね。ふふふ」

むすーと頬を漫画のように膨らますマイちゃんがおかしくて、思わず笑が零れる。

「ふん!」

私が笑ったのが面白く無かったのか、マイちゃんはますます不貞腐れそっぽを向いてしまった。

「もー、拗ねないで。ほら、私のケーキ半分あげる。これ、今月のケーキなんだよ」

マイちゃんの機嫌を取るために、私はまだ手のつけてないケーキを半分フォークで縦に切り分けた。

「まぁ〜!いいの?」

マイちゃんは、とても単純だ。

「もちろん!ふふふ」

ケーキを目の前にキラキラとした笑顔を浮かべてくれたので、マイちゃんのご機嫌取りは成功だろう。

「ねぇ、マイちゃんこの後どこに行く?」

私は、今月の新作フラッペを飲みながらこの後の予定をマイちゃんに尋ねる。私とマイちゃんは、ざっくりとしか予定を決めない。いつも現地で細かくスケジュール調整をしながら遊んでいる。

「そうねぇ…うーん、あ!コスメショップに行くのはどう?ノアちゃんの好きなブランドの新作も出てるはずよ!」

コスメショップか…悪くないな。そう思い、同意を示そうとしたその時だった。

「あ」

「ん?ノアちゃんどうしたの?」

「今お店出た女の人、ハンカチを落としたわ…」

「まぁ、大変…!」

「マイちゃん、ここで待ってて!私、届けてくる」

「分かったわ」

私は落ちたハンカチを拾い、急いでお店を出た。

 

 新宿は、常に人で賑わっている。急いでお店を出たからすぐに渡せるだろうと思ったものの、もう既にハンカチを落とした女性は見当たらない。どこに向かえば良いのか分からず、とにかくキョロキョロと辺りを見回す。

「……いた!」

その女性は、横断歩道を渡った先に居た。すぐに追いかけようとしたが、信号は赤。

「もう、間が悪い!」

信号を待つ間も女性はどんどん進んでしまう。ふと、どうして私が見ず知らずの人のハンカチを必死になって届けなくちゃいけないんだ。という気持ちになった。お店に預けておけば取りに来るかもしれない。そう思いながら、ハンカチに目をやると『H』と刺繍があった。女性の名前はHから始まる名前なのだろう。

「H……」

その時、頭にふと過ぎる誰かの声

「ずっと一緒にいようね  ちゃん」

知らないけれど、誰よりも知ってる。懐かしい声。

「…届けなきゃ」

どうしてだか分からないけれど、その気持ちが湧き上がった。今、届けないと後悔するような気がしてならない。信号が青になったのを確認した私は、ひたすらに走った。

 

 赤信号のせいで距離がより遠くなってしまった。今日は、オシャレをしてヒールも履いてきている。走りにくくて仕方がない。全ての間が悪くて、少しの苛立ちを覚える程だった。何より、私は足が遅い。

「もー!神様のバカ!」

まさか、こんな漫画のようなセリフを自分が吐くとは思わなかった。マイちゃんなら言いそうだけど。なんて思いながらとにかく走る。女性は幸いにもずっと歩いているので、このまま行けば距離は近づきそうだ。不意に女性が立ち止まる。

「え…」

一瞬ドキッとしたが、すぐに安堵する。赤信号で立ち止まったようだった。これはチャンスだ。私は、遅いなりにスピードを更に上げた。距離が1歩また1歩と近づく。

ある程度の距離になって私は声をかけた。

「あ、あの!!!」

女性は少しビクッとして振り返る。

「私…?」

私は息を整えながら大きく頷く。

「これ、落としましたよ」

ハンカチを差し出すと、女性は少し驚いた顔をした。

「あら、やだ。キチンと鞄に入れてたつもりなのに。不思議ね。うふふ」

その女性の顔と声に、存在していない記憶が蘇る

 

「  ちゃん、一緒に死のうか」

「……はい」

「生まれ変わっても、また会えるかな?」

「私が探しに行きます。」

「そっか、待ってるね」

 

そう。私が探しに行くって、言ったんだ。約束したんだ。

「あらあら!どうしたの!?」

女性が驚いたように私に問いかける。知らずのうちに涙が流れてしまっていた。

「走ってきた時に転んじゃった?ごめんね、私がしっかりしてないから」

女性は、私のことを心配する。

そうだね、貴女はそういう人だよね。知らない人でも泣いていたら心配する。だから…

「凄く、自分でもおかしいと思うんですけど。本当に本当に変なんですけど、自分でもなんでだか分からないんですけど、私、ずっと貴女を探していたような気がするんです。」

きっと引かれる。だって意味が分からないもの。でも、今この言葉を伝えないと、今後ずっと私は後悔を抱えて生きるような気がした。

「えっと…」

案の定、女性は驚いている。あぁ、バカみたい。なんだか、凄く惨めだ。女性は、戸惑いつつも答えた

「私の名前は、ヒトミ。」

「ヒトミお姉さん……」

「お嬢さんのお名前は?」

「の、ノア…ちょっと変わってる名前でしょ」

​「そんなことないわ。可愛い名前よ」

ヒトミお姉さんは、少し困ったような柔らかい笑顔を浮かべながら言った。

「私も、今から変なこと言うんだけど…なんでだろうね?私も、ずっとノアちゃんに逢いたかったような気がする。ノアちゃんが、私のことを見つけるのをずっと待っていたような気がするな。」

その言葉で、私の全てが本当の意味で報われたような気持ちになった。安堵と嬉しさとで涙が止まらなくなった。

「あらあら、泣き虫さんなのね。うふふ」

「は、恥ずかしい…」

「可愛いじゃない」

ヒトミお姉さんは、クスクス笑いながら私の涙を拭く。

「約束守ってくれて、ありがとう。ノアちゃん。」

「…はい」

その優しい声は、初めて聞くけれど確かに大好きな大好きな貴女の声だった。

その声を、また聞くことが出来て、私は、とても嬉しかったのです。

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